週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

ダイバーシティ

小生、子どもがおりまして、先日嫁から「テストの点数が落ちている」との訴えが。

 

よくある話題だが、少し前に通信教育を始めたタイミングでもあり、費用対効果を判断するには早すぎる段階乍、分かりやすい「費用>成果」の状況に、家計を支える主としての小生に若干の不安を覚えている嫁からすると、相応の苛立ちを覚えたようで、小生としても荒立つ心を静めるべく言葉を探して浮かんだのが「ダイバーシティ」。

 

対して詳しくないのに「多様性」というキーワードを頼りに「今の時代、多様性の時代だから、何も全国一律の学習プログラムの一部習得状況を図るテストで悪い点を取ったからと、大した問題ではないんじゃない?あの子には別に得意なことがたくさんあるし、楽しく過ごしてくれているし問題無し」などとのたまったもんだから、その後の結果はご想像の通り。相手は正論を聞きたいのはありません。さらに議論などはしたくもありません。沸き立つ感情(激情!?)をただ発散したいだけなのです、、、どうして小生毎度同じことを繰り返すのでしょうか。とほほ、、、

 

とは言え小生想うのです。

咄嗟に口を付いた内容とは言え、多様性…その通りだなと。その世界では当然のことかもしれないし、最近世間でも盛んにPRされていますが、あらためて考えてみるとやはりその通りかなと。善悪は当然判断しないといけないし、好き嫌いも第三者目線では当然にあるものと思いますが、こと本人がどう生きようかと考える際に、より自分の気持ちに素直に従えば、それは結果として社会に多様性が生まれることになるはず。社会に生きる以上、バランスというか社会性は求められるものの、許される限り多様性はあっていいし、あったほうが本人的にも第三者的にも楽しい社会、生きやすい社会が創造できると思う。こと日本は、”社会性“を過度に求める傾向があり、個々の価値観までもを統一感のある何かに集約させる力が大きく働く社会のように思える。ついては、欧米ではもしかしたら”死語”或いは逆に協調性を訴えないといけない状況かもしれないが、少なくとも日本では当面は「ダイバーシティ」を謳い、もう少し人がまんべんなく生き易いと思える社会を目指した方がいいように思う。

 

と、一通り面と向かって嫁に訴えれなかったことを、ここで吐き出す弱気な俺。

次回のテストでは良い点取ってくれるといいなぁ(笑)