週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

働き方(生き方)

最近想うこと。

どうして世の中こうもお金がかかるのだろう。

生活余剰分に相応のお金が(コスト)がかかるのは百歩譲って理解するにしても、「食う」「寝る(住居)」「教育(社会的動物として必要最低限必要)」にこうもお金がかかっていいのだろうか。

そしてその金額を稼ぐために、こうも時間(大げさに言えば命)を費やさなければいけないのだろうか。

今の日本では「質素な生活でいいので、それほど働かなく生きたい」ということが選択肢としてないような気がする。

程よい仕事が無いのだ。どれも仕事に就けば最大のパフォーマンスを求められ(言い方を悪くすれば給料の何倍を稼ぐことができるかを求められ)、まさに仕える身となり自身の体力、気力、時間の多くを注がなければならない。

小生、真面目な性格なので、苦手なりに一所懸命に仕事に取り組むものの、さすがに疲れてきた。そんなこんなで上記の想いを募らせるようになっているのだ。

生活必需については国が支え、余剰を求める方が一生懸命に働く。税率は高くなろうが、格差は縮小する。人は易きに流れる一方で、欲望の動物であることもまた事実。ついては一見共産主義化に流れそうで、余剰分を追いかける人が増えるはず。生活必需が支えられている(=そのために時間的余裕がある)というベースがあることで、欲望を満たすためのアイデア創りや、必要な勉強、その他様々な経験を積むことができ、創造性と多様性のある「事業=経済」が生まれるのではないだろうか。

本屋に行けば「忙しい中でも隙間時間を見つけて、効率的に仕事をして、自分の時間を確保すれば、夢を実現できる」的な本がたくさんあるけど、小生はそんなに優秀ではないのよ。忙しいは心を亡くすと書くのよ。そもそも夢も見れなくなるのよ。

こうした気持ち(気持ちだけでなく状況をも)を克服された方、モデルはどこかにいないものか(優秀な人ではなく、至って自分は普通の人間だけどという人で)。きっといるんだろうなぁ。自分の行動範囲が狭いからいるのに気づいていないんだろうなぁ。

でも小生諦めてはおりません。しつこいのが小生の特徴です。必ずや「生活必需のためだけに時間のほとんどを費やすことなく(仕事が楽しければそれでもいいのでしょうが)、余剰の時間を設けられるようになり、暇過ぎて余剰を自然と求めるようになり、結果人生の構成要素が増えて豊かな人生を歩む」状況を実現させたいと思います。

がんばれ俺!