週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

セロリ

「育ってきた環境が違うから~♪すれ違いは否めないぃ~♪」

上手いことを言う!

最近ジェネレーションギャップを憂う中年が多い。憂う中年は平成世代の感覚が分からないだけではない、自身への自信が強すぎて、自分たちの常識を引き継がなければという思いが強い。

余計なお世話だ。

小生は中年だが世代の違う人の持つ常識にある程度理解がある。というかあまり気にならない。

自分の考えが唯一で、それをもって導かなければなどとは全く思っていない。

要は好きか嫌いかだ。

誰それがどのような感性をもっていようと関係は無いが、こと自分に関わることとなれば話は別だ。それでも「俺は自信をもってこう思う。こう思えないお前はある意味不幸だ」的なスタンスでは到底臨めない。

それはそれだけの経験則が無く、確固たる自信がないからでしょ?と言われればそれまでだが、仮にそれがあるとしたら普遍的な「正解」に至るのですか?と言いたい。

どんな辛い経験を乗り越え、今の価値観の中で、ある程度のステータスを築くことができたというその経験則、そこから育った自信というのは、他人がそれに似た経験と思考に沿うことで、これから先、満足感を得ることができるのだ、と、それこそ自信を持って言えるのですか?と想う。

まぁ、そうであるからこそ、自信過剰の中年はそう言うのだろうが。

はたしてそうだろうか。

若者は敏感だ。敏感ゆえに時代の変化、環境の変化から、言葉にはできないながらも何かを察知し、次の時代に一般的となりうる考え方、感性を、無意識に身に付けているのだと想う。

そんな若者と、「変化しなければ駄目だ」と言葉だけは教科書内容をのたまいながも、いつまでも自分の考える成功体験が万人の成功体験に繋がるとばかりに、若者に習う姿勢を示さず、ぎりぎらトーンで説教する中年との間に、ギャップが生まれないわけがない。

好きかそうでないかでいいではないか。

つまり、あなたの幸せは、それ以外の人の幸せとは限らないのです。もっと分かりやすく言えば、あなたの好きと、それ以外の人の好きは違うってこと。

それでも同じ組織内にいると、ついつい共感できる間柄や関係を求めたくなるのだろう、「染めたく」なるんだろう。

最近はそれをパワハラと言う。

それこそ自分と年の近い、同じ時代に生きて、結果として似た感覚、常識を育んだ人を選んで付き合えばいいのだ。

「いやいや、同じ気持ちになった方が組織としての一体感が、、、」と言う人もいよう。

違う(と想う)。最終的に目指すものはある程度共有、共感できていなければ、成り立たないと思うが、その過程での一体感までもを望むのは、ダイバーシティに反してはいませんか?

小生の言い分だと、組織は家族的な組織ではなくなると想う。でもそういう時代なんだと想う。

だから家族とか親しい仲間をより大事にすればいい。家族との時間を犠牲にして仕事をするとか、友達よりも接待時間の方が長いとかではいけないと想うのだ。

組織もやるべきミッションを明確にし、その遂行をアサインしたら、それ以上を望むべきではない。特にどんなに成果を出しても億万長者になることのないジャパニーズサラリーマンは。

もちろん、その仕事が好きでやりがいがあって楽しいのであれば話は別。そこはしっかりことわったうえで。

加えて、自分の感性が異なることを理由に拒絶や否定をするのも違うと想う。同じ釜の飯である以上、やはり支えあう存在であり、互いに思いやる気持ちを持つことは大事。そういう中で「押し売り」がいけないと思うだけ。

ながなが書いたが、要は「押し売り」は勘弁よということ。