週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

満足に目を向ける

不足に目をやるクセがある。

不平不満ではなく不足。努力不足、認識不足、実力不足、、、それらは、克服して成長しようとする前向きな捉え方で消化しているが、一方でそればかりでは満足感を感じるに至らない。

ある場面に出くわした。

サッカーの試合を終えた息子に親が言葉をかける。試合はボロ負けだ。ある親は「気合いが足りない」だの、「あそこでどうしてトラップミスをするの」だの、指導とは思えない、ただ感情をぶつける言葉を子どもに投げかける。片や「あそこは本来こうしたほうが良かった、次の試合までに攻略して次回は勝とう」と投げかける親も。なるほど。

「それにしても試合への向き合いかたが良くない。もっと真剣に向き合おう」とも。「全体がだらっとした雰囲気になっても、それに染まらずそこであなたがビシッとすることで雰囲気を立て直そう」、、、

なるほど、なるほど。

そうした「不平不満」の一部吐露を含みながらも「前向きな」やり取りが暫くなされた。

それらをそれとなく聞いていたが、子どもたちは「うん、そうだね」という感じで聞いているのみ。時間はなんとなく過ぎた。

終盤にあるお父さんが言った。「いろいろ言ってるけど、君らがサッカーしてくれているからこそ。色んな話題を提供してくれてほんと楽しいわ。サッカー無かったらお父さんたちもつまんないからねぇ。」と。

なんかエネルギーが湧くというか、素敵なコメントをブッ込んでくれたなと想った。

そうなのだ。不満でもなく、不足でも無く、満足がそこには確実にあるのだ。そこに触れた言葉があまり聞こえないから、何か違和感があったのだ。もはや週末の楽しみ事になっているのに、当日の発言内容は「不足」に係わるもの、由来の言葉ばかりだったのだ。

満足に目を向ける。その言葉を最後に添えるようにしたいと想った。

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