週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

「中島みゆき」の薦め

久しぶりに中島みゆきの歌に触れた。

沁みる、とにかく沁み入る。移動の電車内で泣いてしまった。

衷心を心得ているというか、本質をつくというか、その言葉はハッとさせられるとともに、安心感に出会えたというような感覚になる。

われわれ中年は、現役で四苦八苦する年代なのに、心を預けることのできる存在が少ない、或いは無い。子ども時分には「親」、若い頃は「先輩」、でもこの歳になると、小生で言えば会社は「先輩」ではなく「上司」になってしまうし、そもそも事の悩みが仕事絡みが殆んどという状況下、「上司」にありのまま気持ちを漏らすというのは難しい。甘える相手にならない。プライベートもそう。年上の甘えることのできる、頼ることのできる相手なんていない。

そんな中で中島みゆきは稀少な存在だと想った。小生の年上。間接的にならざるを得ないが教わる相手、心を預ける存在になり得ると思う。

本で今までは気持ちを紛らわしてきたが、こういう「生声」もいいものだ。

YouTubeに、オールナイトニッポンでのやり取りをアップしたものがあった。

内容はリスナーからのハガキを紹介、コメントするもの。

ハガキはある中学生の女の子からのもの。内容は「私はかなりのブスで自分でもそう思う」と。「周りからはブスブスと言われ、男の子にはワザワザ目の前に来てオエーと言われる日々もあった」「母親を恨みたいけどそれはできない。これまで育ててくれた母親をそんなふうに思えない」「行きたい高校があるから頑張っている。でもその高校には怖い先輩がいる。あのオエーと言っていたあの人だ。またその日々が来るのかと怖いが、そんなことで高校を諦められないので頑張る」と。「いつか変わった自分でみゆきさんのコンサートに行きます」と。

この内容のハガキに対して、どんなコメントをするものか、正直自分は困った。「人間、見た目じゃないよ心だよ」とさらりと言うことははばかられる。どこか説得力に欠ける。その言葉をそのまま受け取っていいと言い切れない自分がいた。

中島みゆきはこんな感じのことを返していた。「多くのリスナーがあなたのお手紙を一緒に聞いたわけだけと、誰がブスだかはみんな分かったと思う。あなたをブスという人だけが、周りの人だと思わないで。世間をそんな狭い範囲で見ないでね。見た目はお金をかければきれいになれる。でも心はお金をかけてどうこうできない。その人たちはそういうことなの。誰がブスだかは分かっている人がたくさんいる。あなたの周りの人だけが世間と思わないでね」と。

嘘がなく、また納得感がある。

こういうコメントがスッとできるって結局本質を見極めている方なんだろうなぁと思ったし、自分の不徳を想ったわけ。

また機会をみて中島みゆきに触れてみたいと思う。しばらくは移動の電車内では避けて*1

*1: