週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

行い

ヤフーニュースに珍しく(!?)芸人のドキュメントが掲載されていた。

その芸人は売れない時分から酒に溺れ、家族を失い(離婚)、僅かな仕事のチャンスもことごとく失った。

そんな自分に対しても支えようとする大物先輩芸人の存在に感動し、断酒を決意、以降、売れなくとも何か世の為人の為にと町の清掃を日課にした。

そうしてる内にだんだんと芸人としての仕事も入るようになったという話だ。

この中で彼は「どんなときも神様に見られている。その行いを常に見られていて、その行いを応援してくれたりそうでなかったりするのだと強く感じるようになり、今は確信している」と言った発言をしている。

翻って想った。

自分が神様の立場で自分を見ていたとして、その日々の行いは、望む結果や状態に則した行いになっているだろうか。分かりやすく示せているだろうか。

芸人さんの話は、心の中で思っていても実は伝わらず、まさに見たままで伝えるしかないというニュアンスに取れた。とすると例えばスリムになりたいと心の中でいくら祈っても、神様に見える格好で、行いとしてその望みに則した行動が実行できていなければ、伝わらず、応援もしてもらえないのだろう。

要は想ったり、祈ったりではなく、その行いが全てなのではないかと。

なんとなく納得感がある。

確かに神様がどうこうというのを置いといても、思考だけで状況は変わるというものでなく、行動が伴ってはじめて変わるということだ。

さて、それを想った小生は、このあと筋トレの一つでもすればいいのだろうが、、、電車の席が空いた、座った、心地いい、おやすみなさい、、、(変わらない要因はここにあるんだろうなぁ)

 ↓この方も思い続けただけでなく、その思いに行動が伴っていたんだろう