週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

「食べ過ぎ」の反省から考える「持続可能な社会」問題

食べ過ぎた。

お腹を下した。

普段疎かになっている栄養をしっかり取ろうと食した食事は、おそらく吸収されることなくサヨウナラ。

過ぎたるは及ばざるが如し。

何事も適度が宜しいのねとあらためて実感(同じ実感を何度も経験しているはずなのに、、、)。

世の中に目を移す。

今だに急成長を尊ぶ声が多い。急成長のあとは急降下が必ずといって訪れているわけで、それを何度も経験しているはずなのに。

世の中は常にバランスを取る力が働いていると想う。

しっかり地に足のついた確かな成長と、そして緩やかな衰退が必要であり必然のような気がする。

この衰退の存在を横に置いて物事を考えるからやれ急成長だ、やれ衰退が訪れると絶望だと言わんばかりの物言いをすることになる。

違う(と想う)。

地に足のついた確かな成長と、緩やかな衰退こそが、持続可能な社会のベースではなかろうか。

これまでの世の中(資本主義経済圏に限る)はやはりやり過ぎだったのだ。「急成長」の価値観に振り切り、先の食べ過ぎの例のごとく、そのまま衰退というレベルを越えて崩壊しかかった。そこで持続可能な社会の議論だ。

しかし「資本主義」のもとではあらゆるキーワードに対して、儲けの種に転換させようとする力が働く。

よって「持続可能な社会」なる言葉は経済紙の上で踊るばかりだ。

ずっと前からそれらを謳ってきた社会学者や自然科学者、或いは哲学者との連携を求む。

世の中の構成要素のひとつに過ぎない「経済」の視点ばかりがクローズアップされ過ぎだ。

経済、もっと言えば資本主義とも重要な価値観であり、世のため人のためにも大きく寄与してきたと想う。資本主義は(もはや表面的なものになりつつあるかもしれないが)、自由を標榜しているし、その価値観に尊ぶべきところは沢山あると想う。

要は一つの要素で振り切ろうとするのは危険ではないかってこと。着実さ、バランス、これらが大切ではなかろうか。

過ぎたるは及ばざるが如し。

ここまで偉そうに世の中を語ったが、個人に落とし込んでまずは食べ過ぎに気をつけようと思う。ほんと自分に落としこんだ途端、一瞬崇高な考えと想ったものも、「何言っちゃってるの考え」におちぶれてしまうのが悲しい。

日々精進致します