週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

幸福とは

私は想う。幸福とは、満足にも似た概念だと。

私は想う。それらは時代、地域、文化、個人の成長、衰退、要は状況の変化により変遷するものだと。

 

例えば「時代」で言えば、我々サラリーマンにおいて、まだ国が貧しくも、一方で国民が一丸となって豊かさを求め、猛烈に働けばそれ相応の成長を享受できた時代、国、会社、地域の一体感のもと、がむしゃらに働き、その対価を得て、まさに求めていた豊かさが実現する過程を実感できた時代、そういう時代はこうした働き方のもとでもサラリーマンとして幸福感があったのではないかと想う。

しかし、失われた20年、30年とも言われる低迷期を生きる(生きた)サラリーマンにおいては、上記の働き方のもと、同じ幸福感を得ているとは言い難い。「働き方改革」とか「ワークライフバランス」などという言葉が生まれたのも、それを物語っている。

 

次に「地域、文化」で言えば、例えば欧米人の幸福とは、「夢を実現する」とか「大きな勝利を手にする」など何かイベントちっくな、或いは象徴的な何かを獲得、実現することを指す傾向にあるという。そのため、常に何かにむけて能動的な活動が必要だし、そもそもその活動のモチベーションとなる「何か」を用意していなければならない。

一方で、アジア(含む日本)は仏教的な思想が影響しているのか、例えば「平穏無事なこと」、「一日何事もなく過ごせた」など、「無事」であることを「幸福」と捉える傾向があるという。

こと日本人はここ半世紀のうちに思考も相当アメリカナイズされたたため、社会の仕組みが欧米型幸福論をベースとしたものにかなり組み替えられてしまった。それはそれで高度成長期など、その成果が手に取るように実感できた時代は良かったが、それらの勢いが衰えたこの20年、30年においては、次の「何か」が見出せない中で、サラリーマン、もっと言えば日本国民は不幸感を高めていくことになった。

それは上記に述べた「地域、文化」による幸福感の違いを勘案すれば、日本人は本来「無事」を幸福と捉える国民性であることを前提にすれば、欧米型の「有事」を幸福と捉えることを前提とした社会システム(含む経済システムや会社システム)の上に「幸福」はおとずれないことになる。特に次の「何か」という明確な目標や夢の無い状況下では。

 

状況や環境の違い、変化により「幸福」は一定しない。

されど「幸福」でいたいと人は願うわけだ。

さすればどうしたら「幸福」でいられるか。本題のテーマだ。

 

私は想う。

上記でさんざん「状況や環境の違い、変化により」と述べたが、幸福は個々人の価値観に由来する。それでも「状況や環境の違い、変化により」と述べたのは、個々人の価値観は、状況や環境に相当に影響を受けるからだ。直接的には「個々人の価値観」に由来するものだと想う。

「幸福」が「個人の価値観」に由来するのではあれば、「個人の価値観」に従った行動、日々を過ごすことができれば「幸福」になる。

但し、人は既に実現できていることについては、まるで空気のように、当然なことと思ってしまっている面があるので、仮に個人の価値観に従った日々が過ごせていても、それに気づかず、つまりは「幸福」であることに気づいていない場合が多いと想う。故に日々に感謝するという機会を定期的に敢えて作る必要があると思う。

一方で、そうした感謝の機会を作っていてもなお「幸福」を感じられないとすれば、それは「個人の価値観」に素直に従った日々を過ごせていないからだろう。

 

自己肯定感という言葉もよく耳にするようになったが、自分の素直な気持ちを表現したり、行動した場合に、否定されたり、馬鹿にされたり、嫌われたりという環境や状況が続くと、自己肯定感は低下する。自信を失い、さらに素の自分が出せない、或いは出なくなる。

 

厄介なのは、そうなってしまっている自分に気づかなかったり、できない自分を責めてしまったりしていることがおうおうにしてあることだ。

 

人を敢えて傷つけようとすることや、迷惑をかけてやろうというような明らかに有害な価値観については、社会のお世話になっている以上、その社会秩序の維持のために否定されることはあるだろうが、その他ほとんどの価値観については、否定されるものではないし、あってはならないと思う。好き嫌いは当然にあろうが、自分自身の持つ価値観に対し、外部になんだかんだ言われる筋合いはない。

 

しかし世の中には、なんだかんだ言う、或いは言わないまでもある偏った価値観を前提にした組織も多く、その環境にいることで、結局影響されて、自身の価値観を素直に表現できない状況を生み出すことになる。

 

よって「幸福」になるためには、素直な自分を出せる環境を求め、そしてすでに満たしている状況には感謝する機会を設けて、満たされていることを認識する。この2点に尽きるのではないかと想う。

 

それでは、その2点を整えるためにどうしたらいいのかという手段については、また考えるとしよう。※なんたって私自身がそう思っていながら、そのための行動を取り切れていないのだから、、、

 

そうは言ってもこうしてブログを書き綴っているのは、その一歩だったりもする。

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