週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

「いとおしい」という気持ちになる方法

「いとおしい」は「愛おしい」と書くらしい。しかし私は「いと惜しい」に近い気持ちで使っている。

 

そんな気持ちに定期的になるのが新幹線の中だ。

 

タイトルを「いとおしい」という気持ちになる方法としたが、この新幹線内でのルーティンともいえる所作が、自然と「いとおしい」気持ちを私に抱かせる。

 

愛する妻や子どもに対しても、時には気にくわないとは言わないまでも、責める気持ちになることはある。それが「いとおしい」の気持ちに変わるのだ。

 

どんなルーティンがそうさせるのか。動作だけを述べるならこうだ。

 

朝方の新幹線の窓側に座り、コーヒーを一口。都会の喧騒を離れ、のどかな景色が広がる頃にイヤホンで昭和歌謡を聴く。

 

明るい曲を積極的に聴くこともあるが、ついつい聴いてしまうのは玉置浩二中島みゆき、Love is over などしっとり系。

 

そんな素敵な歌を聴きながら自然を眺めていると、「人って色んなことを感じながら、その中でひたすらに生きて、それだけでも大変で、そうこうしてたらいつの間にか寿命を迎えて、そして死んでいくんだな。今のこの瞬間がいつまでも続くわけじゃないんだ」という想いに気づかされる。

 

人生は有限だ。いづれ死んでしまうのに、その間の「結果」にのみ目を向けてしまっていないかと。

 

そうすると「責めていた」内容そのものが小さく感じられてきて、それよりも仲良く、素敵な時間を伴にしたいという気持ちが再燃、上回ってくるのだ。

 

或いは不満な箇所は残っても、それらは試行錯誤する過程(生きることそのもの)であって、苛立つ無駄な時間ではないという前向きな気持ちになるのだ。

 

そしてそれらの時間、その人の存在がとても大切で「いとおしく」感じられるのだ。

 

「いと惜しい」、とても貴重なときに想えてくるのだ。

 

このルーティンも大切にしたい。

 

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