週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

場当たりで生きる方が良いかも

やれ人生設計だ、やれまえもった準備だと囃し立てられているが、本当にそれは必要なのだろうか。

もっというと意味があるのだろうか。

私はこれまで「すべきこと、せねばならないこと」を頭で考え、「あー、これをしなきゃ、準備しなきゃ」とやや心配性な感じで、気持ちがノル、ノラない関係なく事前準備に意識が取られていた。

一方で私の連れは真逆の性格で、気持ちがノラない、ワクワクしないことは、徹底的に後回しにするのだ。常に「今」なのだ。

これまでは、その姿勢が理解できず、「前もって準備すれば、こんなにバタバタしなくてすんだのに」と思う場面がたくさんあったが、最近は少し捉え方が変わった。

結局将来訪れる「その時」の状況なんて、当初想定した通りになるとは限らず、また「その状態」がベストな状態とも限らない。そもそも当初の段階で気持ちのノラないその状態に向けて何かを準備するとしたら「今」がもったいない時間になるように思う。人生は今が連なって出来上がるとすれば、ワクワクしないことに時間を割くことはもったいないことのように思えてきたのだ。「今が良ければいいじゃない」の精神をもっと大切にしようと。

所謂「今だけ楽しきゃいいと過ごしていると将来苦労するよ」の呪縛から、この歳でようやく距離をおけるようになってきた。

上は一理あるものの、「今」が、常にどうなるか定かではない「将来」のために費やされ(ワクワクする将来像への準備等、今が楽しくなりのであればいいが)、「今」が失くなれば、それは人生を失くすことになるのではと想うようになってきたのだ。

「時の流れに身を任せ~」と伝説の歌姫が歌ってらっしゃいましたが、ほんとそんな感覚になってきたのだ。

私も人生の半分をきっと過ぎた。

自分のこと、愛する家族、友人、その他もろもろのために、それらの「今」なもっと意識と時間を割けることができるようにしたい。

以下はきっと私の思いを全否定してくるのだろうなぁー、、、