週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

現状打破(転職活動その10 最終面接を前に)

前回面談から時間が過ぎた。

現状、活動は止めた。

年末年始にじっくり考える時間を確保、いろいろシミュレーションしたことで見えてきたこと、加えて活動の大きな動機となっていた地元への里帰りが諸事情でその見通しが立たなくなったことなどが理由。

先般、その旨をこれまで対応してくださっていた担当の方にもお伝えした(その後どうですか?と頂いたメールに、メールで返信した格好。そのメールに対する返信は「かしこまりました」とあっさりしたものだった)

40歳半ばの中年が一念発起で挑戦した転職活動、実際に動いたことで学んだこと、見えてきたこと、良かったこと、当初は意識していなかった中年ならではの前提などを以下に挙げたい。

①学んだこと、見えてきたこと、良かったこと

…転職活動とは、答えありきではなく、今のままでいいのかを考えるそのものの行動だと想った。結論として一旦は今のままという選択に落ち着いたわけだが、それまでの「今のまま」を迎える自分とは明らかに「今」の捉え方が変わった。従来は「今」の状態が何かに拘束されていて自由の無い感覚に支配されていたが、この活動後、「いざとなったら辞めるだけの話」という気持ちに実感と、ある意味の自信のような気持ちを持つようになった。これは後に述べる40代半ばならではだからかもしれない。これまでの資産的な蓄えもあり、究極的には仕事がなくなっても生きるだけの生活はできるからでもあろう。無収入になった場合のイメージが具体的にできるようになり、それは絶望を意味しないことに気づけたのである。

②中年ならではの前提

…中年の転職活動はその年齢から厳しい面ばかりがクローズアップされがちだが、それは求めるものによって当然に異なる。20代のように「知識も経験も無く、資産も無いが、高収入を得るべくこれから一から頑張るので、そんな私に期待して下さい」が前提だとそれは厳しい。企業側からすればその人が戦力化するまでのコストと、戦力化してからの実績等による回収期間を考えたときに割が良いとは言えないからだ。一方で経験値が高く、採用分野の知見も十分な場合、またそれらが相応の人生経験も求められる管理的なポジションの場合、それは若者よりも敢えて中年が求められる。転職サイトの求人情報を覗くとそれが良く分かる。

ここまでは一般的な話だ。

では、私のように、上記のいずれにも該当しない場合はどうだ。

つまり、「単に働くことに疲れてしまい、なんとか自由になりたい。この会社を出たときに客観的に見て特に武器と胸をはれるようなスキルや実績もない」、そんな中年の場合だ。

その場合でも共通する中年の前提がある。それは社会人デビューしてから20年以上働き続けてきたという、その実績を持っているということ。これはそんじょそこらの若者は真似ができない。まさに年の功なのだ。

この前提が何を意味するか、一つはその間に相応の蓄えを積み重ねたということ。一つは子どももある程度大きくなっており、究極的には親はなくとも育つということ。教育費やらなんやらと常識に則るとまだまだお金がかかるということになるのだろうが、究極的には育つ。少し観点を変えれば、苦労して育つことの方が長い目で見れば子どもの為だとも想う。若いうちの苦労は買ってでもした方が良いと言うではないか。現代は過保護というか、過干渉というか、余計な関与が過ぎる。それでも子どもの側にはいたいし、いれば気になってなんだかんだしたくなるのだから、いなければいないでたくましく育つのではと想う。

話は逸れたが、そうした前提を抱える中年の転職活動は、ある意味抱えるものが無い故に、切迫感のない、冷静に考えることのできる活動にできるのだ。

私は今回、思い立ってあまり深く考えずに転職活動を始めた。時に本気だったが、結局は止めた。しかし、結論としてやってよかったである。

少し行き詰まり感にあった景色が、それ以前と、それ以降で、はっきりと変わったことは大きい。良くも悪くもふっ切れた。一度心の中では「退職」したのだ。引続き真面目に一生懸命に勤めるものの、無茶をしたり、そのために過度に家族に我慢を強いたり、格好をつけたりはしなくなった。なんたって一度「辞めている」のだ。本当に辞めることになっても、その時はその時だという感覚が育まれた。

つまり結論として、中年の転職活動は、その度合いに関わらず、人生において有意義である。

そのつもりがあろうと無かろうと。

その一歩は転職サイトの登録かもしれない。登録したあとの流れは、私がこれまで記した『現状打破(転職活動~』シリーズを参考に。

↓↓アフィリエイト広告を利用しています