逆説的だが、なぜ自分の考えに自信を持てないのか。それは自信満々に考えを述べる第三者に圧されてしまっているだけ。
「いやいや、その自信満々の第三者考えを打ち返すだけの自分の考えに自信がないし」、、、いや違う!
なぜに自分の考えに迫力を伴わないといけないのか、伴う必要は無い。考えや感性はあなただけの経験に培われたあなただけの考え、感性であって、自然と沸き立つもの。
つまり唯一無二のもので、他人がどうこう言えるものではない。
あなたの考えや感性は、あなたにだけしか抱けないもの、自信を持つしかないのだ。
何度も言うが、この世に普遍的に正しいものは無いと想う。言い方を変えれば、そんなものがあったとしても、しょせん不完全な人間でそれを分かっている人なんているわけがない。もしいるのであれば、人類はもっと幸せな状態を謳歌しているはずだ。
だから私は自信過剰に自分の考えを押し付けてくる人が苦手だ。それはあなた様の好き嫌いであって、普遍的な正解、或いは最適解ではない。
「自分はこう思う」の話は聞くに耐えうる。もっと言えば聞いてて楽しい。発見もあって為にもなる。これが人間の交わりだとも思う。
だが、これが「そうだろ?そう考えるべきなんだ」となった途端、私は興醒めをする。この紙一重の違いが、その人の生きようを表すのだ。
自身の考えに沿ってひたすらに生きる姿は共感を得やすいと思うが、それを相手に共感して下さい、共感すべきだ となった途端、反発心もあるのだろう、共感できなくなる。
人は分かったようなことを自信満々に言う。言うことはいいし、ご自身の中では是非自信ももって欲しい。
翻って「自分の考えに自信を持てない」皆様、第三者の、自分の考えと当然に異なる、且つ、過度に自信過剰な考えや感性に惑わされなければ、自然と自信を持てると想う。
さぁ、無意識に持つ自分の考えにそれこそ自信を持とう。と自分に言い聞かせて今日のところは眠りにつくとする。