週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

無いが有る。有るが無い。成り立っているんだよね、こういう感じ。

最近ふと想った。一つの事象も、捉え方、目線、意識等々により、いくつもの見え方があるんだなぁと。当たり前っちゃぁ当たり前だけど、改めて想った次第。

先日旅行に出かけたのです。都会を出発し、目的地に向かう道中、田舎町を通った時に誰かが「なぁんにも無いねぇ」と言った。都会の喧騒を離れることを目的に旅行を企画していた小生は、その時自然と「なぁんにも無いというのがここには有るんだよ」と返していた。

我ながら素敵なことを言うなぁと想った。

彼女にとっては「普段見慣れている風景がここにはなぁんにも無かった」のだろう。

小生は「普段見慣れている風景と違う、それらの風景でない風景を求めていた中で、まさにそうした風景がここには有った」のだ。

もう一人の同乗者に至っては、その部分に感じるところがなかったようで、そもそもそうしたものが「有るも無いも無い」という状態だったのだと想う。

そうなると小生が見ている、感じていることって、小生の意識の持ちようといいましょうか、心の持ちようといいましょうか、そういうものが作り出していること、ものであって、どうやら普遍的な真実というものではなさそうだ。いや、でも、どうであれそう映っているのであれば、それは少なくとも小生にとっての真実なのかもしれない。でもでも、時と場合によって、つまりは揺れ動きやすい小生の心の有り様によって、捉え方が変わるのであれば、それは小生の心が不変でない以上、小生にとっても普遍的なの真実とは言い難い、、、。

こんな感じで、分けが分からなくなってきていますが、逆に変な安心感といいましょうか、なぁんだ、ものごとっていい加減だなぁ的な感じで、少し肩の荷が下りるといいましょうか、気が楽になるのも事実。

んー、仏教の本でも読んでみようかな。