週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

現状打破(その時が来た)

その日は仕事で大きな出来事があった。

詳細は省くが、それなりのことだ。察しの通り良いことではない。

それまでの疲労感に覆い被さる疲労事に、完全に心が萎えてしまった。

その日、昔の後輩がたまたま飲みに誘ってくれていた。もう15年来会っていない後輩だ。普段あまりプライベート的な飲み会に参加することの少ない私だが、このタイミングの、それも15年来会っていない人からの誘いに、何かを感じざるを得ず、一旦は前日に断っていたが、急遽「飲もう」ということになった。

久しぶりの再開。見た目は多少太っていたが、然程気にするほどでもない。「相変わらず」と話を進めていくと、これまでの苦労話が後輩の口から出てきた。今は心療内科に通い薬にも頼っていると。会話は楽しい会話がほとんどで、実際楽しい飲み会だったのだが、しみじみ明日は我が身だなと感じた。

翌週を迎えても、先週のことを引きずって心は萎えていた。これがまたよくぞこのタイミングでと思ったのだが、その日上司との面談が設定されていた。私だけではなく、定期的にその部署で設定されているものだ。ここで私はこれまでの長い歴史を総括するかのごとくの弱音を吐いた。

こういった場での発言は、単なる吐き出しの場、ガス抜きの場とはならず、結果としてマネジメント層に共有され、それをもって何かしらに作用するものだということは分かっている。普段は本音や、その後に不利となりうる発言は控えていたが、今回は違った。

何が不利か分からないが、ともかく現状を変える必要があったため、弱音に沿った対応を求めた。

案の定、環境を変える方向性が打ち出される。

複数の上司間で共有され、仕事内容も一部変更が加えられ、今後更なる変更も方向づけられた。

これまでのあって無いようなものの、どこかに残っていたプライドと、現状への執着がいい意味で壊れた瞬間だ。

後戻りはできない。

こうして私はいっきに転職活動や、周りへの相談を開始することになる。

今まで知ってたつもりのことも、いざ本気で触れてみると、全く気づいてなかったことに気づいたりする。

やはり人は本気になってはじめてそのことへの認識がなされるんだなと想った。

さぁ、スタートはきられた。これからの展開を共有したい。いざご自身が「動く」状況になったときの参考になったら幸い。

今でも求めている。実例を、先輩を。しかしながら不思議なほど見つからない。だから私と似た感性をお持ちの方は、私を是非参考にし、実験結果を見届けてください。