週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

「大切」なことの違い。強い圧をもって差し迫ってくる世間の「大切なこと」に惑わされないことが「大切」!?

世間一般的に、サラリーマンはコミュニケーション力やら成長力やら統率力やら何やらかんやら「大切」だと言われる。きっとその通り。

でも何が「大切」かは時と場合で変わる。つまり、今、この時に言われている「大切」なことに普遍的な価値があるわけでは無いということ(だと想う)。

「大切」の語源を調べると『「切」と「迫」は同じ「差し迫る」という意味を表していて、 「大きく切る」のではなく「大いに差し迫っている」と解釈するのが正しい。 自分の身に大いに迫っている、ということはすなわち「重要であること」を意味する。 そこから「大切」という言葉が生まれた』とある。

つまり、今、この時に自分に差し迫ったこと、それに対処するために必要なことが「大切」なこと、と理解できよう。

となると、先にも述べた通り普遍的なものというよりは、ころころ変わるものだと想う。人も違えば状況も違う、変わっていくのだから。

世間で言われる「大切」なことも、数年でころっと変わってきた。

よって世間一般で言われる「大切」なことに自身が対応できていなくても、そこまで落ち込む必要は無い。そのうち状況が変わって「大切」なことも変わるのだから。世間はまるで普遍的な価値があるかのごとく「大切」なことを強い圧をもって説いてくるけど、それに惑わされず、今、この時に自分にとって何が「大切」なのかを見極めていくことが「大切」なんだと想う。
注)自分を慰めているだけです、、、世間が言うことも、その時々の「大切」なことを言ってくれているのだと思います、、、

今、小生にとって「大切」なことは、、、あれっ!?ありすぎて、混乱するぅー、うぉー!!
→「心を落ち着かせること」のようです(笑)