週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

起きている時に何もしないをする

何事もバランスって大事だと想う

最近想うが、小生起きている間、ずっと何かを考えているような、或いは何かを考えていないといけないといった脅迫観念がある。無意識の時間が少ないように思うのだ。

考えるとは意識的な行動だから、答えのあることなら考えてもいいかもしれないが、はっきりとした答えのないこと、例えば「自分はどうしたいのか」(※これに答えが無いって末期症状!?)などは、考えて答えがでないのだから、無意識に問いかけてみる作業がもしかしたら大事なのかもしれないと想う今日この頃。

つまり瞑想だとか、マインドフルネスだとか流行っていますが、時に自身の無意識に問うことで、ある時気づきがあるかもしれない。意識下にある考えはどうしても世間の声に影響を受けているように思う。ついては自身の本音が抑制されてしまうのではと。ゴルフでも考えて打つと上手くいかないのに、「もうつべこべ考えずに打とう」と思ったとたん良いスイングができるみたいな感じだろうか。

しかし起きている時に、この無意識になることが非常に難しい。目をつむってボーとしようにも、次から次へと考える作業が始まっていまうのだ。

海を眺める(流れや淀みに気が取られて余計なことを考えにくい)、ろうそくを眺めるも然り。こうした工夫をして、無意識の場面を作っていきたい。それでも今のところは左記を実践しようにも、「眠くなる」が先行してまだ上手くいっていない(笑)

それでも、工事の音や、小鳥の声、犬のワンワン声、子供の声、かすかな風などなど普段気づかないことに気づけて楽しい。目的の「無意識」にはまだたどり着かないが、もうしばらく挑戦してみようと想う。