週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

神様に物申す

なんとかしてください。私のこの満たされない想いは、どうしたら満たされるのでしょうか。

そんなことを言えば、きっとこう仰るだろう。或いは正論側に立つもう一人の自分も同じようなことを言い出す。

「足るを知れ」「不満の要因は外にあるのではなく自分の内にある。ものの見方、受け取り方を変えれば、不満はなくなる」などなど。

一理ある。一理あるのだ。

ただ、それを掲げ続けていても、解決はされない。

人間は不完全な存在、そんな高尚な考えで不安だ焦りだを拭いきれない。

「分かっちゃいるけどやめられない」なんていうのが良い例だ。

だから自分の内を起点にして不満を無くすというのは無理だ。「神様、なんとかしてください」なのだ。

「満たされています」という人ってどこかにいるのだろうか。いるなら是非参考にしてみたい。「夢を手にしました!」的な自己顕示や広告を目的にしたと思われるもの、部分的な満足感を謳ったものはよく目にするが、逆にそうしたもの以外目にしたことがない。あれば参考にしたいので是非教えてほしい。

人間は不完全、故に完全に満たされることがない、とするとこの世は修行の場ということなのだろうか。厳しい。

この理屈でいくと、不完全ながらも「完全」に近づくことで「満たされる」率が高まるということも言えるのだろうが、そもそも何が「完全」なのかはっきりしない。

答えが無い。

自分に素直に生きる、沸き立つ感情に素直に従う。

これができていれば満たされた気持ちになるような気がする。

やはりその為には自由か、、、

振り出しに戻ったぜぃ