週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

神さま仏さま

神さま仏さまへ

神さま仏さまのお考えを様々な伝え方で、正しいか否かは別として、様々な人が述べられています。

「越えられない試練は与えない」とか「楽しい苦しいは自分の心持ち次第」とか色々おっしゃります。本当にこれらは神さま仏さまのおっしゃっていることを正しく伝えていますでしょうか。

言葉として、観念として、自分の中に一旦は納まるのですが、楽しいを求め、苦しいを避けたい私について、結果としてまだそれらは長らく実現していません。

それは「越えられるはずの試練の途中」或いは「自分の心持ち次第」に従って、正しい「心持ち」に至っていないということなのでしょうか。きっとそうなのでしょう。

しかしここで想うのです。

そうだとすると、結局その条件を「クリア」しなければ、幸せは訪れないということなのでしょうか。そんなに幸せってハードルが高いのでしょうか。

この世に生まれ、生きるということは、厳しい修行ということなのでしょうか。

こう伝える人もいます。幸せになるために生まれたと。それも結局は条件のクリアが、前提なのでしょうか。

幸せになりたい。心のゆとりが欲しい。

それはただひたすらに生きるだけでは訪れないのでしょうか。

おそらく、世界中に宗教をはじめとする信仰が存在するのは、古今東西みな答えを求めたのでしょう。

この回答は得られることなくこれからも日々が過ぎていくのでしょうか。

心の叫びをぶつけてしまいました。ご無礼をお許し下さい。