週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

あらためて想うベーシックインカム

あらためて想うベーシックインカムの効用は大きいのではないかと。

まさに今の日本、もしかすると今の資本主義社会全体に潜在的に求められているのではないか。

過ぎたるは及ばざるが如しとはよくいったものだ。

努力したら努力した分報われる的な資本主義的発想は、社会がまんべんなく物質的な不足を抱えていた時代にこそ有効だったもので、ある程度行き渡り、もはや広告などで戦略的に欲望をかきたてることをしないと需要を生み出せないような世の中では資本主義発想は尊ばれず、限られたパイの取り合いに係る過当競争を繰り広げるばかりだ。

行き過ぎなのだ。

そうした社会は格差が広がり、底辺は物質的な充足すら得られない。社会に「まんべんなく」ではないため、そうした人は差を感じ、精神的な不足感までもを強いられることになる。

いまこそセーフティネットの充実を図るべきだ。ベーシックインカムはその良い手段だと思う。セーフティネットと言ったが、それだけではない。格差において富を持つ側にとっても有効だと想う。要は一旦の勝ち組の人間も、過当競争の中でおそら消耗してきたと想う。そうしたなか、ベーシックインカムがあれば一旦の休息を図ることができる。

ゴムも伸縮を繰り返すことでその機能を継続できる。人間も然り。休息がなければ伸びきったゴムになってしまうのだ。

ベーシックインカムという分かりやすいセーフティネットがあればその「休息」が取りやすくなる。「休息」明けはきっとそれ以前よりエネルギッシュな活動ができるだろう。社会の活力に繋がる。

ベーシックインカムという至極分かりやすい、且つセーフティネットとして機能する制度が整えば、補助金だ、なんだかんだといった従来の細かく別れ、分かりにくい制度の整理にも資するだろう。

それにしても、こうした議論が聞こえてこない。先行して実験的に導入したカナダなど上手くいっていないのだろうか。

マスコミもキャッチーなトレンドを後追いするだけでなく、或いは広告塔の役割ばかりを担うのではなく、こうした目立たない議論を是非取り上げてほしいものだ。

とはいえ、それに関する書籍は以前より確実に増えているように想う。小生も読んでみよう。