週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

諦めの境地は無我の境地?

高熱を出した。インフルかコロナだろう。

相当に熱が出て、ひたすら寝込んだ。3日ほど体はとにかくキツかったが、頭も働かず、ぼんやりせざるを得ない状況が、なんだか心地良くもあった。

普段は何かに追われ、何かに不安を覚え、焦り、ストレスフルな毎日。週末も何かしなきゃと、平日にできないことを取り返すように予定を詰め込む。

一息付きたいわぁの感情がピークにあったときに高熱が出た。

動けない、考えられない、溜まった仕事もどうすることもできない、上司もきっと「こんなときにっ」と思ってるだろうなぁと思いつつも、それに対して普段のように「あぁー、そう思ってるだろうなぁ、億劫だなぁ」と思う気力もない。要はいろんなことに諦めがついた状態になったのだ。

心地が良かった。何度も言うが体はキツいのよ。それでも心地は良かった。

諦めとは無我の境地なのかもしれない。

普段はなんだかんだで「自分はもう少しできるのにやってない」的な、少し買いかぶっているからか、その能力を十分だせるかなと不安になったり、本当はもっとできると思ってるが故に、やらない自分に落ち込んだりしてるのかもしれない。

諦めたときのように「私はなんにもできない人」という前提に立つことができれば、そうした余計な想いから解放されるのだ。解放されたのだ。

それって生きていけるの?という感じもしなくもないが、ひととき心地良かったことは確かで、必要な状況にあったことも確か。

そういう意味で、良いタイミングで高熱を出したなと、神様には感謝の念すら覚えた。

自分を徹底的に諦めてしまう瞬間があってもいいのではないでしょうか。但し、自暴自棄とは違うので悪しからず。