週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

過干渉

ほっとけぃ。

最近、組織の活性化目的か何か分からない

が、上司や部下、グループ間など、腹を割

った意見交換をしましょうの場、いわゆる

面談の機会を、プログラムとして設けるの

が流行っているのだろうか。

公私を含め、社員の本音を引き出すことで、

社員そのもののやる気を引き出し、ひいて

は組織がボトムアップで変化、活性化する

ことを期待しているようだ。

ほっとけぃ と想う。

こうしたプログラムを導入する企業という

のは、おそらく大組織なのにトップダウン

型で、型にはまった思考にあって多様性に

乏しい、それまでは時流に乗って儲かって

いたが環境が変わり足元斜陽、こうした状

況打開のために経営層に代って社員層から

イデアがあがってくるようなことを期待

して、或いは社員の精神面にアプローチす

ることで、更なる生産性向上を図るといっ

たことを目指さざるを得ない企業なのだと

想う。それ故、妙に「生きるうえで大切に

していること」的な、「モットー」的な、

なんと言いましょうか、まさに大切にして

いることを語らせようとするのです。要は

この人は人としてどんなことを考えていて

今どんな心持ちでいるのかということを、

妙に知りたがっているように映るのです。

「ほっとけぃ」なのです。

確かに、そのプログラムが機能するなら

意味があるのかもしれません。

ただ、そのプログラムが機能するためには

(各人の、仕事を越えた、人としての本当の

気持ち、大切にしていること等が語られる

ためには)、そもそも組織に対する相当の信

頼感があってこそ。多様な価値観を尊重で

きる土壌が必要。

一方で、組織たるもの秩序は保ち、経営方

針といった方針を示し、社員がそこに向い

た活動をすることで力になるわけですよね。

つまり、社員の多くは多かれ少なかれ、真

の大切にしていることを胸に秘めつつも、

一方で組織に貢献すべくあるときはそれを

抑えて(胸に秘めた想いを抑えて)活動してい

るんだと想うのです。それは良し悪しでは

なく当然そうならざるを得ないでしょ。

そうでなかったらカオスになってしまう。

では何故真の気持ちを抑えて組織に貢献す

る姿勢が取れるのか。それは誰にも評価さ

れない(させない)、仕事と離れた「生きる」

の価値観に基づく気持ちや考えが担保され

ているからだと想うのです。それが最近、

組織がそこの部分に触手を伸ばしてきてい

るように思えてならない。

組織に身を置くときの価値観と、それ以外

のときの価値観と、いわば表向きと本音が

同じになればそれはすばらしいことだと思

うし、良いことのようにも思うけど、そん

なことが、果たして可能でしょうか。目指

すのはいいと思うが、まずは土壌造りが先

で、足元で語らせようとするのは時期尚早、

語りたくないのです。それこそ飲みの場で

非公式であれば語れるやもしれないが、プ

ログラムにしているところが、何か違うん

だよなぁと想ってしまうのです。

まっ、組織も試行錯誤の時代ですから、そ

うした違和感を抱きつつも、そのプログラ

ムを批判はすれど否定はせず触れてはみた

いと想います、、、※小生素直なんで、、