週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

想ったこと(苦しみを寄せ付けない方法)

①歩く:まず浄化しよう。溜まった苛立ち、悲しみ、苦しみ、汚れ、そうしたものを浄化しよう。さすれば、ひたすら歩くに優る方法なし。私は神社仏閣巡りを兼ねて歩くことが多い。神社仏閣は自然に囲まれ、少し高台で、気持ちの良いエリアに位置していることが多く、散策に適している。ゴールとなる神社やお寺は公園のようにベンチなどを備えるところが多く、一息つきやすい。加えて目をつむって手を合わせるという稀少な機会にもなり、心の休息、荒ぶる精神を落ち着かせる場所として最適だ。一万歩程度は歩いて欲しい。時間にすると一時間半くらい。ひたすらに歩き、汗もかき、目的地に到着すると達成感がある。それだけで気分はよくなる。道中も、歩くという動作を繰り返しているせいで、余計な考えやイメージに襲われることも少ない。いわゆる無になっている感じ。無になっていない場合でも、浮かぶ考えと言えば不思議と前向きなものが多いように想う。そのため、無になった心と体に対して、前向きな考えを植え付けやすくなるのだ。まずはしっかり歩き、心休まる場所で一息つこう。これで浄化完了。以下に続ける。

②心構え、体勢を整える:いよいよ苦しみを寄せ付けない方法に移ろう。無を十分に味わったら、心構え、体勢を整えよう。要は、せっかく浄化した心身なのだから、これから襲ってくるであろう負の圧力、或いは自分で勝手に生み出してしまう負のイメージを入れ込んでしまっては元もこもない。よってこれらが入り込まないように防衛するのだ。ここで言う苦しみとは外圧に由来するものとする。外圧に心を乱され、落ち込むのは何故か。多くは求められることに応えられないときに、まるで悪いことをしたと言わんばかりの圧を、そのまま受け入れてしまうからではないだろうか。「悪いことをした」を受け入れるのだから、そりゃ落ち込む。しかしだ。求められることに応えられないことは悪いことなのだろうか。「悪いこと」とは意図して人を傷つけることや、傷つけようとすること、悪いと分かっていて敢えてやることくらいだと想う。それ以外は「だって人間だもの」で過ごせる話だ。

とは言え、真面目な人ほど応えられないことを申し訳ないことと感じ、迷惑をかけたと錯覚し、そのことに気持ちが耐えられず苦しむ。

しかし、しかしだ。迷惑などというものは、誰しもがなにがしらでかけているもので、それ自体が人間の助け合いを生み出している源泉であって、良いとか悪いとかいうものではなく、当然にあるものだ。

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